お疲れさまです。
後藤さんの件はとても残念で、悔しく思います。
ほぼ予想されていたことだったのですが、心に一縷の望みは抱いていましたから、
とても悔しくてたまりません。
それと同時に、私たちはいつも自分がただ生きることだけを考えていましたが、
人生は「如何に死ぬか」でもあることを、日々の意識の中では忘れていたようです。
生まれて来た人間にとって、生きることは普遍的ですが、
死ぬこともまた普遍的です。この2つは普遍的なのです。
これ以外に、普遍的なものは何もありません。
健康も、就職も、貧困も富も、結婚も子供も、普遍的ではありません。
彼はジャーナリストになった初めの頃は、主として
組織の長や責任者、権力者へのインタビューをやっていたそうですが、
ある人の影響から、戦争の狭間で生きる民衆を、一般の人々や子供たちを、
世界に伝えようと活動してきたようです。
彼は言いました、「醜いものは醜いままに」「悲しいものは悲しいままに」
「汚れたものは汚れたままに」「貧しいものは貧しいままに」
「美しいものは美しいままに」映し出したい、と。
彼は普通の人間になり切り、普通の人間として生きたのではないでしょうか。
だからこそ、普通の人間が死に瀕しているのを
放っておくことはできなかったのではないでしょうか。
(この危険な時期に、なぜあんな所へ?)
(しかし、彼は遥菜さんを放っては生きていけなかったのだろうと思われます。)
そのことをはっきりと世界に示してくれた後藤さんの死だったと思います。
I AM KENJI であり、I AM HANAKO であり、I AM GOTO です。
私たちはみんな I AM KENJI です。
I AM KENJI は世界に広がっています。
首相官邸前に、ニューヨークに、中東に、世界の各地や人々に。
後藤健二さんの死は勝利です。
世界を作るのは人間です、民衆です、普通の人たちです。
決して特定な宗教でも、国家でも、政党や教派でもありません。
これからの世界は「I AM KENJI」が作るのだと信じます。
かつて宮沢賢治は「いざもろともに宇宙の微塵になって
無方の空に散らばろう」と言いましたが、健二さんはそれを実行してくださいました。
今後、「I AM KENJI」は無方に世界に広がっていくことでしょう。
そして将来は、「I AM KENJI」たちによって新たな世界が作られていくことでしょう。
あなたも、ゆっくりと家族のつながりを大事にして、帰って来てください。
レオン