★前回のつづき、るろうに剣心のモデルは実在の武士でした。
ちょっと気になり調べたら、とても興味深いというか・・・切なくなってきました。
幕末四大人斬りと言われた、尊王攘夷派の肥後藩士「川上彦斎」(かわかみげんさい)。
我流の“抜刀術”で(刀を抜くと同時に相手に切りつける技)、
片手抜刀の達人であったと伝えられています。
映画の佐藤健の剣術でもお馴染みの、片膝が地面につくほど低い姿勢からの逆袈裟斬り。
どんなものだったかというと、
絶対にこれだけ離れていたら、斬り付けられないという位置から、
突然、大地を蹴るように間合の中に飛び込んで、
地面と体がほぼ平行になるように、自分の身を投げ出し、
手を充分に伸ばしきり、敵を一気に切り倒したということです。
映画のための、オーバーアクションだと思っていたのですが、ちゃんと実際の剣術であったのですね。
剣(刀)を抜いたら「生きるか、死ぬか」の時代ですから。
本当の戦いでは、チャンチャンバラバラするわけではなく、
剣を交えたら、少しでもひるんだ方が、死だったということです。
[川上彦斎とは?]
京都池田屋事件で、同士である宮部鼎蔵らが殺害され、
その池田屋事件の黒幕である、開国論者の佐久間象山を暗殺。
その後、象山の時歴を知って愕然とし、以後暗殺をやめてしまったといわれています。
後に熊本に帰国したが、脱藩罪で投獄されることになります。
しかし投獄されている間に、大政奉還が起こり、幕府側は朝敵となり、
熊本藩では入獄されていた勤王派志士たちを慌てて出獄させ、藩の役人に取り立てたりしました。
しかし、川上彦斎は、耳をかそうとしなかった藩の重役たちの下で働く気になれず、これを拒否。
藩から改めて、外交係として任命され、各地をまわっているうちに、
旧同士たちが牛耳る新政府の方針が、開国の方向へ進んでいることを知り、愕然とします。
やがて、藩から危険視された川上彦斎は、長州藩士を匿ったことで投獄され、裁判にかけられます。
明治4年、東京に護送され、何の取り調べもないままに裁判にかけられます。
かっての同士だった判事に「新政府の方針に従い、共に働いてはくれまいか」
と何度も説得されますが・・・・
彦斎は「この志は神国に誓ったものである。これをなぜ時勢によって曲げられよう!」、
「尊攘を夢見て共に戦い死んでいった仲間たちの事を思うと、そんな考えは到底およばない」、
と断固拒否。
そして「容易ならざる陰謀を企てた」として・・・
新政府の方針に従わない、危険な攘夷論者として斬首された。
*以下に詳細な川上彦斎の人物伝があります。
http://www.shinpuren.com/gensai.htm
参照抜粋させて頂きました。
辞世の句が美しい。
君がため 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん