★新潟で『マン・レイ展』を観てきました。
2022.08.19 at 07:34author:タロット王国
★レオン先生と美術館に行くのが好きです・・・まったく違う角度で作品に迫ってくる感想や言葉にハッとさせられるからです。
先日、新潟出張で『マン・レイ展』を観て、何日間も私からマン・レイが離れなくなっていました。
*新潟市美術館
2022年9月25日まで開催
http://www.ncam.jp/exhibition/6722/
考えれば考えるほど、私の中に刺さった棘のようで取れない、離れない。
それは、写真ではなく2つのオブジェ作品がきっかけでした。
*摩風が描いたイメージ(ヘタですが伝えたくて)
展示場の始まりにあった・・・置かれた旅行カバン・・・中には2つの木のハンガー。上を見るといくつもの木のハンガーがまるでシャンデリアのように空中で交錯している。
タイトルは『障害物』。問題なのは、このタイトル・・・係の人に聞いても詳しいことは誰にもわからないということでした。
なぜ、これが障害物というタイトルなんだ・・・頭の中で言葉が飛び交う。
マン・レイは、25歳位に本名のエマニュエル・ラドニツキーではなく、『マン・レイ』と名乗ったようです。レオン先生は、すかさずマン・レイとは『人間の光』だね・・・意味ありすぎでカッコ良すぎます。
なぜ本名を封印したのか。
彼はロシア系ユダヤ人の移民の子で、父は仕立て屋、母親はお針子さんでした。
名前を変えたのは民族差別を避けるためと、仕立て屋という親の職業や環境を自分と切り離したかったからだといわれています。しかし彼の作品の中に、仕立て屋の息子の片鱗が、ハンガーやミシン、アイロンとしてそこにあったのです。
*摩風が描いたイメージ
最後にずっと足が止まってしまったのが、晩年の作品「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘」
これはイギリスの詩人が美少年を讃えた「解剖台のミシンと傘の偶然の出会いのように美しい」という文章からインスピレーションを受けて制作されたということでした。(どこが美しんだ・・・とこれが迷路の始まりでした・・・結論からいうと、知る必要、わかる必要はないんだと今回ハッキリ分かりました。)
マン・レイの作品は、台の上に茶色の布に包まれたミシンが紐で縛られたものでした。
私の中で・・・マン・レイにとって、偶然の出会いのように、解剖台とミシンというフレーズに、自分の出生を閉じ込めた自分を見たのでないかと。
その横にあった、最後の一枚の絵は、男が荷車を引いて坂道を登っていました・・・荷車にはさっきの「布に包まれたミシン」でした。
摩風:「マン・レイは、自分の生まれた出自を覆ったまま人生を歩いて来たのかな〜」とつぶやいた。
レオン:「マン・レイは、自分を乗り越えたんだよ」と・・・・。
摩風:「マン・レイは、マン・レイになったんではなく、マン・レイを生きたんだね。」
その後、何日も何日もマン・レイの作品を追いかけ、観るのが怖く感じることさえありました。死と恐怖とエロスの迷路が口を開けている・・その後マン・レイを通して、狂気の淵を覗き混んで、心が酔って迷路にハマりそうになっている私がいました。
そんな時に、レオン先生が目の覚める助言をしてくれました。
マン・レイも破滅と成功のギリギリを生きたんだよ・・・一歩間違えれば破滅する。
これは芸術家に限らない。
みんな通る・・・その人のスケールでみんな通るんだよ。
ギリギリを歩ける人が「芸術家」になる・・・ギリギリを歩けない人は「凡人」になる。
俺は芸術家ではないから・・・Tarot(fool)がやってきて救われる・・・そして輝く宇宙の塵になるんだ。
最後の「輝く宇宙の塵」がわからない(笑)
レオン先生から、この私たちの生きている現実の世界の中に狂気や闇は沢山あるだろう・・・どこかにあるのではなく・・・現実にあなたが体験している、闇、問題、自分のずるさがある・・・それを「乗り越えていくことがタロットを学ぶ」意味なんだよ。そのために勉強をしているんだ。
私は、この日から、誰かが創作した狂気の淵を覗くのを止めた。
そんなことをしている場合じゃないからだ。
マン・レイは、私に深淵の淵から「光」をあててくれた。
マン・レイ展は素晴らしかった。
「タロット王国」
担当:摩風ゆみ(マシュー)
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