★《甲骨文字》心が震える「白川静先生の口(サイ)」の成り立ち

★最近、甲骨文字にハマっていました。

占いの起源は『甲骨文字』だからです。

 

 

 

*東京国立博物館「アジアギャラリー」

ここは、見応えがありました。

初めて足を運びましたが、ずっといたくなる・・・ただし「甲骨文字」は小さかった・・・。

 

*なので、さらに鶯谷の「書道博物館」に行きました。

https://www.taitocity.net/zaidan/shodou/

こっちの方が大きい、見応えあり。

しかし、写真は撮れなかったので、東京博物館のをご紹介します。

 

 

 

 

【甲骨文字の成り立ちから】

通常私たちが知っている、「口」は、人の口から成り立っているといわれています。

 

 

 

 

 

しかし、「白川静さんの口」は違うんです。

 

「口」は耳口の「くち」ではなくて、神様へのお祝いの祝詞(のりと)をいれる器の形です。

 

 

 

 

白川静氏「文化勲章 2004年受賞」

 

【サイの発見!】

http://www.ritsumei.ac.jp/features/shirakawashizuka10/

出典より


約3000年前の中国の古代文字を、トレーシングペーパーを使って写し取りました。何万枚も写すうちに、文字の成り立ちやつながりを、体で感じ取れるようになりました。
そして、45歳のとき、「口」が「くち」ではなく、神への手紙を入れる器「サイ」であることを発見したのです。この発見によって、漢字の成り立ちに、納得のいく説明ができるようになりました。

 

白川静先生は、およそ2000年間、正しいとされてきた漢字の解説書「説文解字」とは違った学説を構築することになりました。誰もが考えつかなかった発見だったため、反対説を唱える学者も多くいました。

孤独な研究でしたが、ひとり学問の道を極めることを楽しみながら、地道に研究を続けたのです。

 

 

*「口(サイ)」を通して、人間は古代から「神の声を聞く」ことを本気でやっていたんですね。

私たちも「タロットの霊フールの声」を聞くことが、タロットリーダーとしての生きる道だと、改めて確信しました。


 

タロット王国
摩風ゆみ(マシュー)

 

★お問い合わせは

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★新型コロナウイルスに関わる資金相談、生活相談窓口

新型コロナウイルスに関わる資金相談、生活相談窓口はいろいろとあり、情報も各所で提供されているでしょうが、その中のいくつかのサイトです。参考になれば幸いです。

 

<a href="https://jp.freepik.com/free-photos-vectors/business">Freepik - jp.freepik.com 

 

 

★ 経済産業省のサイト

https://www.meti.go.jp/press/2019/03/20200311007/20200311007.html?fbclid=IwAR0O_-7MOZMXd54FmpNI7MB9yxxpV6LhhO06H073OyUf

7mrQXsGHGO0PmGU  
 

★ スターバーストのサイト

https://www.startuplist.jp/alliance_posts/6?fbclid=IwAR3T_Lk7V3nbBBSSFPbd5nN8LTe5lkk7i99S4iJ9fgId5NoScvCq7L4H-0U

 

★ 日本政策金融公庫のサイト → 現在ベスト

https://www.jfc.go.jp/

*この貸付は金利がかかりますが、ちなみに500万円借入して5年間で返済すると、利息は2万円程度。ほぼ無利息に近い。申し込みから貸し出し実施まで約1ヶ月。

 

★ 経済産業省 中小企業庁

https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/shien-flyer.pdf

 


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以上。

 

 

 

 

 

★「美羽さんへ」お花をお供えさせていただきました。

★ 昨日7月16日は、美羽さんの月命日でした。

丸3年が過ぎてしまったんですね。

 

 

今年もタロット王国の仲間が、美羽さんのお墓参りに行ってくれました。

ご主人の原さんからも感謝のメールを頂きました。

 

 

美羽さんから沢山の宿題を出して頂いていました。

この3年間・・・実現していませんでした。

新たな気持ちで「美羽さんの意志を引き継いでいかなければ!」と強く心にとめました。

 

 

 

*「タロット王国」生徒のみなさんへ

お花は、チャリティータロットなどで集った「スタジオDGの運営費」から

タロット王国一同として、ご自宅にお供えとして送らさせて頂きました。

ご協力ありがとうございました。

 

摩風ゆみ

 

 

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ブッダの覚醒、解脱(その2)

前の記事、ブッダの覚醒、解脱(その1)からの続きです;

 

 

 さて、ウダヤはブッダに、「無明を破ること、正しい理解による解脱」とは何か、を問うた。
 「無明」───人生が見えないこと、この世界そのものの「行き着く果て」の全構造が完全には見えないことである。人は見えないと「何かをやらねばならない」と考える。そして、何かをやることによって生まれてくるのが、勢力拡張、競争、対立、戦争、権威の追求である。ある「理想」のために、他の存在を抑圧することである。「為すべきことのすべてが終わった時」、人は初めて生きる可能性を持つ。

 

 さて、為すべきことを為し終えたゆえに、この世の塵垢を離れ、一切の執着から彼岸へと飛翔したブッダの答えは何だったのか。
 まず最初は、「愛欲と憂いとを捨て去ること」、「沈んだ気持ちを除くこと」、「悔恨をやめること」、であった。そしてそれによって、「平静な心構えと念いの清らかさ」が生まれる。そして重要なことは、それは「真理に関する思索に基づいて起こる」と言う。したがって、私たちが行わねばならないことは、何らかの特定な訓練をすることでもなければ、万巻の読書をすることでもない、世界の情報を集めることでもなければ、特殊な霊能者になど会いに行くことでもない。そうではなく、「真理に関する思索を行うこと」である。人は真理に関する思索が欠乏しているか、それに全人生をかけて取り組むほどの興味がないために、特殊な修行をしたり、カリキュラムを覚えたり、話題の霊能者や教祖などに会いに行こうとする。そういうことに興味が湧いてそれが止まらないとすれば、それは自ら真理と出会うことや覚醒などとは何ら関係のない立場で日常を生きているからであろう。

 

善福寺川のアオサギ ほとんど動かない。瞑想をしている?

 

 では私たちは、ここから真理に関する思索に移ろう。
 「愛欲と憂いとを捨て去る」───「愛欲」は快楽の追求であり、「憂い」は快楽の喪失である。これらは一体となった精神の運動であり、別々に分離して機能することはあり得ない。この対立する運動を生み出すものは、私たちの精神の内にある<恐怖>または<不安>である。恐怖または不安の全構造が理解される時、愛欲か憂いかに行き着く心の作用(働き)は終わる。

 

 「沈んだ気持ちを除くこと」───なぜ私たちは気落ちしたり、心が滅入ってくるのだろうか? それは私たちが意識的であれ無意識的であれ、<希望>や<期待>を心の根拠にして生きているからである。人はなぜ宗教や神を求めるのか。病気が治る、成功する、裕福に成れる、認められる、そういう<希望>や<期待>が欲しいからである。その期待や希望が感じられなくなったら、人はいつでも神も宗教も投げ捨てる。人は心の中から希望や期待を必要とする動きを消し去ったら、全く異なる生を見い出すだろう。そこでは、二度と気持ちが沈む作用は起こらない。

 

 「悔恨をやめること」───「悔恨をやめる」とは、どういうことであろうか? 悔恨が起こり、それを止めようとすれば、そこには実際に作用している悔恨と、それを止めようとする意志との間に葛藤が起こる。それは何ら精神の自由でも解放でもない。生じた悔恨を止めようとするのは、止めようとする欲望に過ぎない。ではなぜ「悔恨をやめよう」とすることが英知に基づく行為ではなく、欲望に過ぎないのであろうか? それは、悔恨を止めようとする心の作用の内には、<悔恨>が起こる、その運動全体への洞察がないからである。そして、そこに洞察がある時、私たちは悔恨を止める必要など全くない。なぜなら、洞察が働いている中では悔恨は消滅しており、存在しないからである。洞察がないので悔恨が生じる。では、そもそも悔恨という意識の働きはなぜ生じるのか、それを洞察するとは何か?
 もっと「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」、「ああもしてあげれば良かった」「こんなにすべきではなかった」、この意識の働きが、なぜ人の心の中に生まれてくるのであろうか?

 

 1つは、それは、人は自分が何者かであると思っているか、何者かでありたいと願っているからである。そして何者かでありたがる人間と、何者かであると考えている人間から、生まれてくるものなど何もない。なぜなら、彼または彼女は、本当は何者でもないからである。

 

 他の1つは、「今日」という<生>への取り組みが、不十分だからである。「今日」という《瞬間》に、<生>の全エネルギーを開花させていないため、明日または後日に<悔恨>が生まれる。必要なことは悔恨でも反省でもなく、自分の<生>が断片化していることを見抜くことである。その時その洞察から、「断片化」は開花し、別の<生>が果実として結実してくる。

 

 

 「平静な心がまえと念いの清らかさ」───続いて書かれている「真理に関する思索にもとづいて起こる」という言葉は、今までウダヤに語ったブッダのすべての言葉に関わるものだが、だが特に「真理に関わる思索にもとづいて起こる」のは、「平静な心がまえと念いの清らかさ」である。

 

 本当に真理を探求し、<事実>を明らかにしようという意識があれば、その意識の中からは心配や悩み、ああであって欲しい、このハズだと思う考えなどが、一切停止する。そしてその意識は、真理が露われ、花開くのをじっと見つめ、ただ待つ。それだけとなる。それ以外には、一切の心の動き、思考の働きがなくなるはずである。それが、「平静な心がまえと念いの清らかさ」の正体である。心の中に、それゆえ思考の中に、経験、理想、目的、善悪観念、知識などが詰まっていれば、《真理》はそこに顕われようがない。あたかも空が曇っているのに、太陽が見えてこないのは当たり前なのと同一である。その求道と見守りとが本物であるとき、「無明」の雲は破れ、真理が太陽のように人の内面に輝き出すであろう。そのとき、人は正しい理解によって解脱する。そして露わになった真理は、その人の内において創造的な働きを開始するであろう。

 

 

 

ブッダの覚醒、解脱(その1)

スッタニパータの第五章:「彼岸に至る道の章」読解

テキストは、岩波文庫版の中村元氏訳による。

 

 

【14、学生ウダヤの質問】

 

〈本文〉
1105:ウダヤさんがたずねた、
「瞑想に入って坐し、塵垢(ちりあか)を離れ、為すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明(むみょう)を破ること、正しい理解による解脱、を説いてください。」

 

1106:師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨(かいこん)をやめること、

 

1107:平静な心構えと念いの清らかさ、───それらは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるが、───これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

 

木喰上人 自刻像(日本民芸館所蔵)


〈解読〉
 第十三番目の質問者として、学生ウダヤが登場する。
 1105 詩。まずウダヤはブッダをどう見たか。それは、「瞑想に入って坐し、塵垢を離れ、為すべきことを為し終え、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた」人、として見たのである。もちろんウダヤは、彼がブッダについて語ったそれらの意味を理解していたわけではない。社会全体が宗教的であったこの時代に、カーストを通して教えられてきた覚醒者の姿を、ただブッダの上に重ね合わせただけである。

 

 まず私たちは、ウダヤを通して伝承された「ブッダ」という言葉の意味するところを現代の条件下において掘り起こしてみたい。そうすることによって、私たちは単なる知識の集積や文献の研究ではなく、〈あなた〉と〈わたし〉が覚醒状態において現在を生き、現在を創造する、莫大なエネルギーの流れを見い出すことが可能になるであろう。

 

 「瞑想に入って坐し」───実はここで述べられている言葉のすべては、同一の状態を様々な視点から言い換えているだけである。「瞑想に入って坐し」=「塵垢を離れ」=「煩悩の汚れなく」=「為すべきことを為し終え」=「一切の事物の彼岸に達する」となる。
 「瞑想」と「坐する」こととは同じである。坐することは一切の事物の彼岸に達することである。おそらくこの言葉は、伝承された宗教や文化の伝統の中では、座禅を組むことやヨーガの行者のような足を組んで座って行ずるようなことを考えるであろう。しかしそういうパターン化された方法や、そういう単純な人生へのアプローチによって、私たちは一切の事物の彼岸に達せられるであろうか。もちろん「ノー」である。


 私は、「瞑想」が一定の手順によって課される宗教儀式や修行であるとは、いささかも思っていない。そんなことではなく、それは心理的に、常に生にも死にも堕せずに存在することである。ある一定の時間を瞑想することや、あるカリキュラムをこなしてゆくことや、滝に打たれてみたり、断食をやったり、百日行に挑戦したり、そういうことは人生の深淵を見極め、一切を超えて彼岸に達することとは何の関係もないことである。

 

 ブッダは「為すべきことを為し終えた」という。それはあらゆる人生の複雑さ、あらゆる人生の挑戦を一切回避することなく、どこまでも体験し、そこに露れる人間の思考の動きと行動とを、見極めてきたことを意味する。かつて小林秀雄がドストエフスキーに関して言った「矛盾の中でじっと坐って円熟すること」、それこそ瞑想の最も深い相の意味である。

 

 「為すべきことを為し終える」───この言葉は重要である。
 私たちは誰もが何かを為さねばならないと考える。しかしそれは本当だろうか? 為すべきことのすべては、無明ではあるまいか。何ものかを為そうとしている実体は何か? それは人間の「空しさ」か「野心」ではあるまいか。もし私たちの内側において、空しさや野心が消滅したら、全く異なる行為が生まれてくるに違いない。「為すべきこと」の追求は「煩悩」の一部である。為すべきことを為し終えた、その先に生まれてくる行為とは何か? それこそ、求道者が見つけ出さねばならないことである。

 

 

*(その2)へ続く

 

 

ただ1つの条件に向かって

 

   年末に、学生時代からの友人で、今では年に1度ほどしか会わない友人から便りをもらいました。

 

「最近、山頭火の随筆集を寝しなに目を通していて、その流れで尾崎放哉も読み直すこともあります。孤絶と称される放哉の生き方から生まれた彼の俳句を、君ほど深く読み込んだ人はいまだ知らず、君の感性の凄みをそこに今も感じます。
   前回お会いした時にお伝えしましたが、親友のH君が亡くなって、既に1年が過ぎました。亡き友への喪失感がますます大きくなっている自分がいます。もう会えぬという焦燥感が突然湧いてきて、H君が単なる友ではなく、自分の命を支えてくれていた大事な存在であり、自分の一部分そのものであったことを痛切に感じています。この感覚を伝える人もなく、これは自分だけの感覚であり、いま誰とも共有できぬもどかしさを味わっています。自分はH君がそれだけ重みのある友であることを、彼に伝えられていたかどうかーー。
大学生活では、生涯にわたる良き師、良き友たちに出会うことができました。恵まれていたと感謝しています。

 

   私の生涯のテーマは、生家の寺にある巨大な3如来坐像の眼に見すくめられて育った己の生は何であるのか、突き止めることだと思っています(*彼の生家は寺で、彼はそこの次男坊である)。少年の頃から見慣れた、あの突き放したような厳しい眼に、私は落ち着かぬ己のあり方を見通されているような、しかしどこか安心もさせてくれる、アンビバレントな思いを持ったものでした。
   ここ十年近く、ブッダの悟りが何であったかを追いながら、初期仏教、部派仏教、大乗、密教への変遷、そして日本の祖師を学ぶことで、改めて仏教の変遷に込められた悟りの深化、変化の中に、自分の安心をどう置けるか、いくつもの書籍に教えられながら、書き綴っているところです。
この拙い試みをささやかながら私の生きた証として、感謝を込めて、Y先生、H君、両親に手向け、この世に生まれたことへの印としたいと願っています。」

 

   友人からのこの報告が、2019年への1つの強力な私の道しるべになってくれるように感じています。
   今年の、皆さまのご平安を祈ります。



タロット王国
レオン•サリラ


私が仏教や「歎異抄(たんにしょう)」を理解する上で多大な影響を受けた哲学者・梅原猛氏が亡くなられました。感謝申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。


年頭にあたっての想い

 

 

< 平和の詩全文 >

(原文のまま、沖縄県平和祈念資料館提供)

 

生きる

      

浦添市立港川中学校3年 相良 倫子

 

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。
手を取り合って生きてきた、私と同じ、人間だった

 

 

この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。


* 高橋三郎先生の学びの合宿にも参加されたことのある、敬愛する知友「かばのたから」さんのメッセージを、
心を込めてご紹介いたします。

タロット王国
レオン•サリラ

★昨年、言い残していた・・・いろいろ。

女 2017年1月2日(月)。

昨年は、何かと思い出せないくらい、忙しい日々を過ごしていました。

忘年会→年始へと、新しい年になることは、素晴らしいことだと、この年齢になって実感しています。

忘れるというより、2017年に新しい気持ちになることは、生きて行く上での『知恵』なのですね。

 

そんな中、昨年後半のいろいろを総集編しました。

 

自宅の窓から見える富士山。

 

【ラスコー洞窟展】

前売り券を秋に買っていたのに、12月27日にやっと行ってきました。

ラスコー洞窟は、古墳大好きな人にとっては、憬れの憬れです。

実物を見ることはできませんが、精密な壁画の再現と、まるで洞窟の中に侵入したような仕掛けは、

日本の装飾古墳もぜひマネして欲しい。

2017年2月19日まで、上野「国立科学博物館」で開催されています。

 

約2万年前に描かれたとは思えない。描写力。

うまい人は、最初からうまいんだ!!

 

 

「井戸の場面」

ラスコー洞窟の中でも謎の絵?

実際は、どんな意味があるのかはわからないようですが。

・右に、槍が刺さって腸がはみ出しているバイソンが角を突き出しています。

・バイソンの角の前で「鳥のような頭をもつ人間の男性」が倒れています。

・鳥の彫刻の投槍器。

・左手のサイの後ろから、謎の6つの黒い点。

女 ん〜。イニシエーション儀式をやっていたとしか思えない。

 

年末の疲れがピークの中、イヤイヤだったレオン先生を無理やり連れてきたのですが、

この壁画の前からレオン先生が、動かなくなっていました。

 

この絵の前には、まるでスプーンのような形の、精巧につくられたランプがありました。

見終わった後、レオン先生が「かなり良かった」と言ってくれて・・・ホットしました。

 

なんか、なじんでいるよ・・・アメ横に。

これがあるから、上野に来たんだね(笑)。

 

 

 

【レピドール洋菓子店】

田園調布の有名なケーキ屋さん。

なんと、若い時(あまり若くない時でした)ほんのちょっとだけオーナーのランチのお手伝いで、

アルバイトをさせて頂いていました(30年前になります)。

色々バイトはしましたが、ここのオーナーには本当に大事なことを教えて頂きました。

多分、知っている方なら、超〜羨ましい中でのお仕事だったと思います。

(私は何も知らずに行っていました。)

*年末のTVで観たのですが、2016年の「黄綬褒賞」を受賞されていた寒川正史氏もこのレピドールの顧問をされています。

 

http://www.lepi-dor.co.jp

ここの「モンブランケーキ」が大好きでした。

この日も売切れでした。

 

お世話になった、大島社長。

30年ぶりの再会でしたが、ちょっとだけ覚えて頂いていました。

現在も現役で素晴らしいです。

 

*今でも覚えているのは、社長とのランチタイムの仕事でした・・。

女「アスパラガスは、何分茹でたらいいですか?」

 

嬉しい 「人に道をたずねられた時、老人と小さな子供では歩く距離が違うでしょう。」

 「アスパラも大きいものもあれば、小さいものもあるんだよ。」

その後は、無言でした。

その時に、短絡的にしか見れない自分を反省しました。

 

最後にちゃんとご挨拶ができていなかったので、今回お会いできて嬉しかったです。

あの時、教えて頂いた、チーズケーキやタルトタタン、そしてめちゃ美味しかったキッシュ。

レシピも全部教えて頂いたのに、なんともったいないことをしたのか。

 

 

 

【博多タロットツアー便り】

博多再発見!

博多って・・・観光というよりビジネスの街というイメージですが。

今回、「中州川端〜祇園界隈」で博多の魅力を発見しました。

 

川沿いを散歩するのもいいです。

川の向こうは、夜の街中州です。(昼と夜ではまったく違います)

 

このレトロ感が、たまんなく好きです。

天神地下街もいいけど、すっかり中州川端のファンになってしまいました。

かはらさんと共に、¥980のスパッツを何枚買ったっけ?

 

   

日本一甘いと言われる「川端ぜんざい」

甘〜い!と叫びたくなります。

 

中州川端〜櫛田神社前。

いい景色・・・探検したくなります。

 

祇園にある「木屋」の野菜うどん。

やさしい汁で九州独自のやわらか麺で美味しかった。

 

 

博多山笠で有名な「櫛田神社(くしだ)」。

(期待以上に)かなり楽しい。

 

 

神社内・・・なぜか、鬼のお面が四方八方にありました。

今回、一番楽しかったのは、沢山の動物の銅像があり、その中でも獅子「狛犬」が、まるでキャラクターのようでした。

 

     

左:境内の入口には、カッコいい獅子、足が長い。

右:こんなファニーな獅子は初めて、「アッシジのキアラの笑うライオン」を思い出します。

 

わ〜、かわいいーー!

惚れちゃうな。

 

博多タロットツアーのパートナー「かはら美穂さん」と。

博多の夜をぶらぶら散歩。

 

私・・・ほろ酔い気分になると「自撮り」をしたくなります。

 

女 いよいよ、2017年の初タロットは、九州博多から始まります。

博多のみなさん&タロット王国のみなさん、そして今年も沢山の人と出会って行きます。

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

 

摩風ゆみ(マシュー)

 

 

 

 

 

★東北の美しい風景を集めた「月野亜佐子さん」のチャリティーカレンダー。

女 先日仕事で、お知り合いになった・・・なんと81才で、合唱団の「指揮者 月野さん」

とってもお元気なんです。

 

月野さんには、合唱団以外の仕事で、大事なライフワークがあります。

それは、2014年2月に病気でなくなった、娘の「月野 亜佐子さん。」

仙台在中で、カメラマンとして活動されていました。

 

 

東北をこよなく愛し、風景や温泉を写真に撮り、それでカレンダーを作り続けていた娘亜佐子さん。

その後月野さんは、亜佐子さんの“志”を継いで、今年も2017年度版を制作されました。

 

花 「少しでも東北の人の力になりたい!」

「何より美しい東北の風景を届けたい!」という娘さんの思いを届けるために自主制作しながら・・・仙台や仮説住宅の方達などに、無料で配布されています。

毎年、東北の美しい自然の写真をみなさん楽しみにされているそうです。

 

 

 

花 カレンダーの後ろには・・・

「今もなおご心労が絶えない皆様方のお気持ちが、少しでも癒されるならば何よりの喜びであります。」とメッセージがありました。

 

 

娘さんの写真から、よりすぐりの東北を選び・・・カレンダーにして毎年年末に届ける。

(娘さんの志を引き継いで、3年目と言われていたでしょうか・・・)

 

嬉しい 月野さんは、晴れやかな笑顔で、「仙台に行って届けて来たよ。」

と教えてくれました。

今では、娘さんの友人だった、沢山の若い人たちと繋がっているそうです。

亜佐子さんの残した写真は、月野さんのもう一つの「ライフワーク」として引き継がれています。

 

「美しい東北をみなさんに知って欲しい・・・そして東北に出かけて欲しい。

それが月野さんの願いだそうです。

 

 

女 私の心には、あったかい“光”がともりました。

『カレンダーありがとうございました。』

 

来年は、『魔術師のタロット東北ツアー』を、ぜひ実現します!

 

摩風ゆみ(マシュー)

 

 

 

 

 

★熱い闘いが終った。

女 昨日1日、参議院選挙の結果・・・応援していた「三宅洋平さん」は当確ならずで残念でした。

まったく、あれだけの聴衆をあつめていた選挙演説をTVでは報道してこなかったことに・・・

不思議でしょうがありません。

 

三宅さんの昨日の会見では、

「政治活動はおよそ4週間足らずだった。何十年という政党活動続けられている皆さんの壁の厚さを感じると同時に、まったく今まで投票行為に及ばなかった新しい政治思想というのを生み出すことが出来たと思う」

 

「壁が厚かった」が印象的でした・・・得票数が、約25万票。

当選ラインが50万票でした・・・厚いようで、もうちょっとかもしれません。

会見の内容は、何か清々しかったですね。

https://thepage.jp/tokyo/detail/20160711-00000004-wordleafv

 

 

女 私自身、このブログで政治的なことを書くのは、躊躇しましたが・・・

「そんなこと、言ってられない!」

今回、タロット王国のみなさんからも、熱いメッセージを頂きました。

(勝手に)一部ご紹介します。

 

メール 熱いフェスでしたね。三宅洋平が受からなくても、

確実に時代は大きく変わって行く思いを強く感じます。

 

メール  私も2回選挙フェス行きました! 彼がキリストに見えてきました!!(笑)
油性ペン持ってこれから投票行ってきます☆

 

メール 実は私も、「三宅洋平さんの動画をぜひ観てね」の連絡メッセージをしたところなんです!
創造的な日本とは反対の方向に進もうとしている今の日本に、とても必要な人だと思っています。
一年前までは、変な日本人的価値観なのか、こういうメッセージを友人に発することこそ怖かったのですが、一歩一歩進みます。

 

女  私は彼の言葉で一番印象的だったのは、「美しい日本ではなく、美しい心を

今後の活動を期待しています。

他にも沢山の方にメッセージを頂きました。みなさんありがとうございました。

 

 

★もう一つの大事な選挙だった「鹿児島県知事選」

原発の一時停止を訴えた「三反園訓氏」が当選されました。

ある意味、この選挙は最後の砦だと感じていたので・・・「あきらめてはいけない!」

それを教えてくれた選挙でした。

これからも、今後の動向を見つめて行きたいと思っています。

 

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2813821.html

 

摩風ゆみ

 

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